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増毛歴史コラム
「ルポルタージュ・にしん」“昭和30年・鰊が消えたあの日”
ニシン漁が消滅の危機を迎えていたそんな頃、「ルポルタージュ・にしん」という本が安藤次男によって執筆されました。
この本には、凶漁にあえぐ当時の留萌・増毛を取材し、人々の動揺や困窮する暮らしぶりがリアルに記録されています。
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写真で語る時代の証人、クラシックカメラ「ベビーパール」
以前、町内の方から寄贈いただいたクラシックカメラ「ベビーパール」のお話です。
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明治の幕開けと文学作品
明治時代は維新とともに突然その幕をあげました。
増毛町も他地域同様、ニシン漁が隆盛を極め、人々はぞくぞくと海峡を渡って新天地を目指しました。
しかし、開拓そのものは容易なものではなく、生きることのみを日々追い続ける、厳しい時代でもありました。
生活に余裕が出て創造的な文化活動を人々が目指せるようになったのは明治時代も半ばを過ぎていたのです。
こうした時代には漁業で潤う町の経済とはうらはらに、本州から流れてきた文人の「漂白の文学」とも呼べる作品が残されました。
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よみがえる増毛山道
「増毛山道の会」によって復元された増毛山道。
通る人もいなくなってから久しいこの山道跡に、現在再び注目が集まっています。
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元陣屋の絵図に見る秋田藩の苦悩
「マシケ御陣屋御任地面境内略図」と題された絵図から秋田藩の苦悩を伺うことができます。
ここでは、その苦悩をご紹介します。
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希代の大ほら吹き、はんべんごろう~元陣屋構築前夜~
“はんべんごろう”とは、ハンガリー出身のオーストリア軍人“ファン・ベニョフスキー”。
長崎出島のオランダ商館員が“ファン・ベンゴロ”と綴りを誤ったことから“はんべんごろう”になってしまいました。
この男、1771年になぜかオランダ商館長宛てにドイツ語で手紙を2通送っています。
中身は阿波の国に寄港した折に良くしてもらったのでお礼を言うという内容。
なぜ政府関係者でなくオランダ商館に送ったのかがそもそも意味不明ですが、この男は手紙の中で物騒なことを書いていました。
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へんてこな北海道地図が語るもの
1821年の伊能忠敬による「大日本沿海與地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」でほぼ完璧な測量による地図が完成しますが、それまでに描かれた様々なへんてこな北海道地図をご紹介します。
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民話から見える昔の増毛
明治時代に入ってから本格的な開拓が進み、高々150年程しか歴史のない「北海道」という土地は、古来からの暮らしや信仰の中で育まれるべき民話・伝承の類が極端に少ない地域であると指摘されてきました。
それでもアイヌ民族の神々にまつわる神話や開拓時代の人々の思いが込められた民話は、各地に見ることができます。
その多くは、困難が絶えなかったであろう当時の人々が生きていく中で肝に銘じておくべき教訓話や、実際にあった歴史事実が若干ストーリー性を加えて語り継がれているものなどで構成されているようです。
増毛に伝わる民話を紹介します。
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